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    • 2018.03.29 Thursday
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    2015年ベストアルバム

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       毎年ベストアルバムはツイッターにつぶやいていたんだけど、後々追いづらいので今年はブログに載せてみる。
       ツイッターでは脊髄反射でばばっと印象を書いて流すばかりだったけど、改めてブログにひとまとまりの文章として書いてみると、いやあもう書けねえ書けねえ。
       それがどういう音楽なのか、どう描写すればいいのか、理解するための知識も説明するためのツールもずいぶんと足りていないことに気づいた。
       というわけで、結局のところパーソナルに語るしかないという結論に渋々ながらも落ち着いた次第であり、時々いきなりエモくなるがその点ご了承いただけると幸いであります。

      10:Yo La Tengo『Stuff Like That There』

       初期メンバーのデビット・シュラムを迎えて作られた、カバー曲がメインの落ち着いた一枚。
       全体的にカントリー風のアコースティックな曲が多くて、休日の朝の陽ざしの中で聴いていたら、今死ぬのも幸せかもしれないと思った。
       でもライブだと、その心地よさがさらに別の次元に突き抜けていた。
       こないだ渋谷O-Eastに来日公演を見に行った時の編成は、アイラ:エレアコ弾き語りのみ、ジョージア:バスドラ・タム・ハイハット抜きのドラムセットでスティックもブラシとマレット、ジェームズ:ウッドベースというシンプルさで、上物の装飾的な音は全部デビットのギターが担当しているというもの。
       テーブル越しに囁くような歌声、「叩く」よりは「触る」という動きの方が似合うドラミング。このアルバムの雰囲気をしっかり再現しているんだけど、あの数百人入るキャパの会場にしては恐ろしく音量を抑えていて、それでいて単なる音ではない「穏やかな緊張感」とでも言うしかない何かが、隙間だらけの空間を漂っていた。
       彼らはマイペースに歩いているようで、いつの間にか知らない場所へたどり着いている。

      9:Hiatus Kaiyote『Choose Your Weapon』

       ロバート・グラスパーをきっかけに最先端のジャズ、一言で丸めるとJazz The New Chapter的な音を知った門外漢の耳にすっぽりと収まる、オーストラリア発のネオソウルバンドの2nd。
       つくづく今年の来日時に見に行き損ねたのが悔やまれる、変幻自在のアンサンブル。
       最初はナイ・パームの身軽な歌ばかりに耳が引き寄せられていたけども、よくよく聴くとドラムのビートのずらし方が気持ちいい。
       毎回、聴くごとに別の箇所に耳が引っかかるのが快感。
       しかしJTNC系の音をだいぶ聴き損ねているので来年はもうちょっとそのあたり強化したい。

      8:Jaga Jazzist『Starfire』

       ノルウェーの異能プログレッシブ音楽集団、5年ぶりのスタジオ新作。
       いやあ、相も変わらずかっこいい……。
       これまでのどっしりとした大河のような長尺曲の流れを汲みつつ、電子音の比重が若干増したせいかよりキャッチーになった印象。
       タイトル曲聴いたときは『The Stix』の昂揚感がよみがえった。
       日本盤ボーナストラックとして収録されている「Oban」のトッド・テリエRemixも秀逸。また日本来てくれないかなあ……。

      7:星野源『Yellow Dancer』

       イケメンで歌がうまくてカラッとエロいという福山雅治的鬼スペックに「根暗」という金棒が加わり文系紳士淑女皆殺し状態の星野さんの4th。
       その存在自体に八つ当たり的な嫉妬を覚えるのはサブカルクソ野郎のたしなみであり、視界に入っても反射的に目をそらし続けてきたわけですが、近頃はぐんぐんビッグになってしまって否が応にも視界の隅っこにチラチラその姿が映りこんでくるのですよ。
       で、魔が差してですね、うっかり聴いてみたらですね。
       うん、ごめんなさい、めちゃくちゃよかったです……。
       聴いた印象は祝祭的になったベニー・シングスというか。ソウルフルな根っこをとても都会的にアウトプットしてるんだけども、J-POPとしてのわかりやすい破壊力も備えているのがとてもいい。


      6:The Go! Team『The Scene Between』

       Go! Teamの持ち味を大雑把に分ければ「ごった煮感」と「メロディセンス」になると思うが、イアン・パートンがひとりで取り仕切った今作は、ニンジャたちの不在により薄れた前者に元々振り分けられてたパラメータを後者に全振りしたような、実にポップな歌ものアルバム。
       両者が恐ろしく高い次元で混ざり合っていた前作『Rolling Blackouts』と比較するのは酷か? そもそもカテゴリーが違う気がする。
       ガツンと衝撃を与えるタイプの作品ではないけれども、このアルバムを聴いている間じゅう、脳みそに快楽物質がだばだば分泌されていた。
       インディポップだのシューゲイザーだのが骨の髄までしみこんでいるので、こういう音にはもう脊髄反射でよだれが止まらんのです。

      5:3776『3776を聴かない理由があるとすれば』
      http://namarecord.com/
      (上記リンクに試聴があります。)
       今年一番びっくりしたアルバムはこれだなあ……。
       まずとんでもないのはそのバラエティに富んだ楽曲のクオリティだけども、アイドルのアルバムなのに音楽的にムチャクチャやっている、ということ自体はもはやこのご時世驚くべきことじゃない。
       すごいのは「富士山ご当地アイドルが歌う富士登山疑似体験アルバム」というトンチキなコンセプトが完全に表現され切っていること。
       アルバム収録時間は全20曲3776秒!しかも曲と曲の間に挟まれるインタールードでは、ひたすら富士山うんちくが語られる背後で、1秒1mずつ標高を読み上げる声が流れ続けているw。
       そのユルいようで妙な緊迫感のある幕間が途切れた瞬間に、やたらアヴァンギャルドなポップソングが飛んでくるからさっぱり油断できない。
       「ご当地」と「アイドル」と「変な曲」、一歩間違えると硫化水素が発生するこの組み合わせをこの稀有なコンセプトアルバムにまとめ上げたのはもはや偉業。

      4:POLTA『Sad Communication』

       日本のギターロック(ポップ?)で今年一番しっくりきたのがPOLTAの1stだった。
       三十路を迎えて表面的にはわりと社交的にやっているんだけども、内実未だに人との距離感のとり方が全くわからない根暗にとっては、ものすごく同族の匂いがする人たちがこんなに溌剌としたアルバムを出してくれたことがとても眩しい。
       音作りは余計な小細工のないとてもシンプルなものなんだけど、そのシンプルさに耐えうる曲の強さ。
       まずキャッチーなふくだ曲でガツンとやられて、聴いてくうちにじわじわと抒情的な尾苗曲が沁みてくる。
       インタビューなどを読んでみると、ギターボーカルの尾苗さんとベースのふくださん、お互いソングライターとして露骨に対抗意識バリバリですごく面白いんだけど、レコ発ライブを観に行ったら何ともいえずいいチーム感があって、なんだか悟空とベジータのように見えました。

      3:D'Angelo and the Vanguard『Black Messiah』
      (公式の動画がないのでYouTubeはナシで。)
       ……リリース自体は去年末だったけど、国内盤出たの今年だし、入れちゃおう。
       ブラックミュージックを聴かないわけではないのだけど、これまで好きになったものはいわゆるフリーソウル系のような、「黒さ」が薄いものばかりだった。
       泥臭いファンクも聴いたは聴いたが、どうにもそのカッコよさが皮膚感覚で沁みてこないところは否めず、たぶんおれには一生ブラックミュージックがわからんのだろうなーと一種の見切りをつけつつあった。
       そんな不感症の自分の耳を開発してくれたのがディアンジェロだった。
       とっぷりと濃く黒いこのリズムワークが、なんだか妙に体になじむ。
       何よりピノ・パラティーノのベースが気持ち良すぎ。血流のような音だ。

      2:Skylar Spence『Prom King』

       ダンスミュージックの中でもピンとくるものとさっぱりこないものがあって、最近何がそこを分けているのか少しわかってきた。
       どうやらおれは「盛り上がること」をあまり求めていないらしい。EDMやグイグイ四つ打ちでアゲまくるハウスなど、みんなで盛り上がることに合目的化したダンスミュージックがあんまり好きになれないのはそこだ。
       じゃあその代わりに何を求めているのか?
       思わず体が揺れてしまうビート、きらきらしたシンセ、グッドメロディの多幸感。
       それがあれば最高だ。だけども最後の一押しに、絶対に必要なものがある。
       孤独を許してくれること。
       ひとりだけで、部屋でヘッドホンをひっかぶってノッていてもOK、と思わせてくれるような音。
       これは完全に主観的な基準だし、同じものを聴いても他の人は全くそういう音だと思わないかもしれない。
       でもこのアルバムはなぜだか、自分にとって、そういう意味でも完璧なダンスミュージックだったのだ。

      1:Lantern Parade『魔法がとけたあと』

       『夏の一部始終』以来、久しぶりにバンド編成でリリースされた最新作。
       発売前に目黒で見たライブで、タイトル曲を清水さんが歌った瞬間に、このアルバムが年間ベストになることはほとんど決まっていたように思う。
       で、聴いてみたら、やっぱりそうなった。
       曲も、歌詞も、歌声も、何もかもが素晴らしいんだもの。冬のわずかな晴れ間のような一枚。

      小沢健二「東京の街が奏でる」に行ったこと(後編)

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        だいぶどころじゃなく間があいちゃいましたが、小沢健二「東京の街が奏でる」に行った話の続き。
        前回最初にアップした時タイトル間違えてましたね。

        後輩が誘ってくれたのは4月9日の回だった。
        9000円で、初台オペラシティの武満ホール。
        普通のライブじゃないだろうというのは会場からも想像がついたが、前回書いたようなモヤモヤを抱えていたので、期待半分不安半分だった。
        というより心境は、今の彼は一体何者になっているんだろうか、という怖いもの見たさに近かったと思う。
        「自分からは行かないがせっかく誘ってもらったからなあ」という言い訳を用意してアイドルのライブを見に行ってみる、というような感じの心持ちだったかもしれない。

        対バンもない単独コンサートで6時半開演は、はっきり言ってかなり早い部類だと思う。
        平日のこの時間に、きっちりオンタイムで来られる人はどれくらいいるのだろうか、と大遅刻の電車に乗って考えつつ、テンションがだだ下がりの状態で初台に到着した。
        この開始時間にした理由が別にあるらしいことに気づくのはしばらく後のことだ。
        着いた時刻は7時10分くらいだった。開始から40分近く経っている。
        もういっそのこと帰ったろうかい、と半ばヤケ気味にちんたら歩いてホールに入ると、係員の人が席まで案内してくれた。
        中からは「ドアをノックするのは誰だ?」が聴こえてくる。
        会場へのドアを開ける時に、事も無げにその人は言った。
        「いま2曲目ですので」
        はい?
        40分経って、2曲目?(後から調べると3曲目だったようだけど)
        開演が遅れでもしたのだろうか、と思いながら席に向かい、既に来ていた後輩に尋ねた。
        曰く、どうやら前説や朗読があってこの時間になったらしい。
        ステージ上を見ると、編成はドラムレスで、リズムはメトロノームで鳴らすらしい。

        流れを事細かに書いていくとまたひどい長さになるので、セットリストの詳細などはこちらを参照していただけるとだいたい全部わかる。
        http://ozaoya.blog122.fc2.com/blog-entry-165.html
        「女の子ぉっ」「男の子っ」と、フレーズごとにシングアロングを求めながら歌うオザケンは、遠目に見ているとあまり昔と変わらない。
        生で聴くのは初めてだけど、ハリのある若々しい声で、初っ端から往年の名曲の数々を、シンプルなアレンジで歌っていく。
        編成のせいもあるのか、比較的おとなしめの曲が続いた。
        会場の雰囲気は、すごく温かい。
        おずおずと、でもほとんどの人が口ずさんでいる。
        お客さんは、全体的に年齢層が高そうだ。おそらくリアルタイムで彼の音楽を聴いていた人がかなり多いのだろう。
        俺の近くにいた人は、40に差し掛かった辺りの、服装などからして当時oliveを読んでいただろうと想像のつく女性だった。
        彼女は、俺が着いたすぐ後の「いちょう並木のセレナーデ」の時点で、既に泣いていた。

        途中で何度か朗読が入った。
        用意しておいたテキストを、語りかけるように読み上げるものだ。
        そのひとつに「Believe」と題されるものがあった。
        細かくは覚えていないけれど、アメリカではスポーツの応援などに「Believe」という言葉がよく使われるのに、日本だと「宗教っぽい」「信者気持ち悪い」とか悪いイメージで捉えられる事が多い、という導入で始まる話だった。
        その部分を聞いて俺は、自分が今の彼を取り巻く空気に対して「宗教っぽい」と思っていたこと、そしてそう感じる人がいることに彼自身気づいているっぽいことを知った
        それならなんで彼は、ああいう形での発信を選んだのだろうか。
        最終的にこの話は、信じることには力がある、という結論になっていたと思う。
        もしも自分が独裁者だったら「信じる」という言葉に悪いイメージを持たせるようにするだろう、とも語っていた。
        このステートメントをどう受け止めればいいのかはっきりわからないうちに、彼は次の曲のイントロの、滑らかでセンチメンタルなコードを弾き始める。
        「天使たちのシーン」だった。

        疑問と一緒に、高揚感がむくむく盛り上がっていく。
        単に過去の音をなぞるのではなくて、今の小沢健二が鳴らしている音になっている。
        自分がようやくそこに追いついて浸り始めたことが、嬉しい半面少し悔しかったりもしたけど、今振り返っても、ここから先は本当に素晴らしいと思えるライブだったと思う(その前も良かったけど、自分がライブに没入し始めたのはここからだった)。
        「僕らが旅に出る理由」みたいなアップテンポのナンバーでも、ドラムがいないとは思えないくらいに弾む演奏。
        特に、自分の体から自然に出てくるリズムはこれ、というモノローグからの「暗闇から手を伸ばせ」「愛し愛されて生きるのさ」「ラブリー」の盛り上がりは相当なもので、足をだんだん踏み鳴らしながらギターをかき鳴らす彼の体から発されるリズムに、完全に巻き込まれて押し流されていた。
        そして「ブチ切れます」と言ってフルで演奏した「ある光」は、そりゃもうとんでもないもんでしたよ。
        会場全体、観客のひとりひとりから音の柱が立ち上ってるような一体感。
        「連れてって 街に棲む音 メロディー 連れてって 心の中にある光」という歌詞と、「東京の街が奏でる」というタイトルの符号に、ここにきて気づく。
        今まさに、東京の街が奏でとりますがな!
        散々ブーブー言ってたけど、結構本気でそう思えるようなクライマックスの中にいられただけでも、来てよかった。

        気がついてみたら、終わったのは10時半くらい、実に4時間近くにも及ぶ大ボリュームのライブだった(モノローグで1時間ちょっとは使っているはずだけど)。
        6時半開始、というのはこの長さのせいなんだろうな。
        このコンサートのコンセプトは置いておいても、今のオザケンが、お金のために活動を再開した昔のスターなんかとは全く次元の違う、尖りまくったばりばり現役のミュージシャンだということが心底わかるライブだった。
        けれども、だからこそと言うべきかもしれないけど、もっと開けた場所に出てきてほしい、という気持ちも強く感じる。
        「東京の街が奏でる」は公演日も多かったから見られるチャンスがある程度色んな人にあったとはいえ、彼のことを見たいとかなり積極的に思う人でないと、あのステージを経験することはできなかったはず。
        ライブはそもそもそういうものではあるが、そのラインを乗り越えない人の中にも、今の彼を知りたい人はたぶんたくさんいる。
        俺が、彼が一旦活動を止める少し前に彼の音楽を知って好きになったように、今彼の音楽に触れて感銘を受ける俺よりもっと若い人も、きっとたくさんいる。
        「我ら、時」は、そういう人たちが入り口として近づきやすいものであって欲しかったと今でも思っているし、彼はそういう「見知らぬ人」を果たして求めているのか、という疑問はまだ消えていない。

        後編を書くのになかなか気が進まず、いつの間にか1ヶ月半も経っていた。
        ずいぶんと自分の中の愛憎に一応の折り合いをつけるのに時間がかかったらしい。
        そして未だに、愛と憎の間にある針はその時々でふらふらと左右に振れ続けている。
        前編を読んで見かねた友人が「我ら、時」のひふみよライブCDだけ貸してくれたが、まだあまり聴く気が起きない。
        でもとりあえず今は、少しも衰えていないどころかさらに別の場所へ進み出した彼の新しい音楽を、気長に待とうと思う(ライブでやった新曲もよかったし)。
        少なくとも彼がまた俺らの前に出てきてくれることは間違いなさそうだし、それは今までよりも確実に嬉しいことではあるのだから。

        小沢健二「東京の街が奏でる」に行ったこと(前編)

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           もう2週間近く経っているけども、4月9日に行った小沢健二のライブについては書いておいた方がいいような気がする。
          と思って書いてみたら完全にいちファンとしての戯言と長ったらしい自分語りになってしまった。
          その前提でお読みくださいまし。

          自分の小沢健二リスナー歴は多少いびつかもしれない。
          後期のほんの一部だけリアルタイムで聴いてはいて、「夢が夢なら」のシングルは小学校時代にリリースされてすぐに購入した記憶がある。
          ミュージックステーションか何かで、彼が歌詞を間違えながら歌ったのを見て、何となく買ったんだった。
          確かシングル盤の相場が1000円だった中、これは500円だったので子供でも買いやすかったのだ。
          その頃は、いい曲だとは思ったものの少しも熱狂することはなく、次に「Buddy」が出たのをかろうじて意識したくらいで、自分の脳内から小沢健二は一旦消える。
          歌詞の描写の細やかさに気づくような感覚は哀しいかなガキンチョには全く備わっていなかった。
          再び彼が自分の中に現れたのは高校卒業前〜大学時代だったと思う。
          高校2年でプリファブ・スプラウトなどのネオアコに出会って、逆輸入のような形でフリッパーズ・ギターの事を知り、小沢健二に再入門していくことになった。
          熱心に聴き始めたのは「Eclectic」が出るちょっと前のことだったと思う。
          何はなくとも「犬は吠えるがキャラバンは進む」。このアルバムが本当に好きだった。今でも一番好きなアルバムだ。
          余計なものが削ぎ落とされた、引き締まってる感じがたまらなくクールなのに、自分の日常にも気がついたら寄り添っている音楽だった。
          未だに大学生の頃の思い出から切り離せない1枚となっている。
          ちなみにその頃のぼくといったら「LIFE」が嫌いだった(「僕らが旅に出る理由」以外)。
          今はとても好きだが、確かその頃は友だちも結構いて、男子校という暗いトンネルを抜けたことでようやく異性の知り合いというものもでき、それなりにリア充的でありながら「オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな……このはてしなく遠いクソ文系サブカル男子道をよ……」みたいな精神状態で、音作りが派手になって歌詞も恋愛のことばかりだったこのアルバムにやたらシラケるくらいにはこじらせていたらしい。

          そんなこんなでアルバム未収録作以外はざっとひと通り聴いた頃に、小沢健二はしばらく表舞台から消えた。
          どうしとるのかと思っていると、彼は音楽ではなく文章を小出しにし始めた。
          どこか知らない場所から、グローバリゼーションに異を唱える内容の物語を発し始めた。
          その頃のぼくといったら「小説の趣味とかは完全に浮世離れしたものばっかりになったけどそれに引っ張られず社会との接点を持っていかなきゃ」モードから「世の中にはどうでもいい物事や分かり合う気にもならない人間がこんなに多いのね」モードにシフトしつつあるという調子だったし、ジャーナリズムの領域に入るような問題を伝えるための手段として物語を援用すること自体は元々好きじゃなかったせいもあってか、ミュージシャンの無邪気な正義感に基づいたエコ趣味のたぐいじゃなかろかという先入観を勝手に抱いていたと思う。
          おかげで資本主義の疲れたジャンキーたる自分は彼から心理的に一歩引いて、その文章を追いかけることもしなかった。
          この思い込み自体はバカなものだとは思うが、未だに彼の文章は全然読んでいないままだ。

          んで、働き始めてしばらく経ちすっかり俺の内面が擦り切れていた頃に、彼は突然姿を現し「ひふみよ」を開いた。
          久しぶりに見る彼の近影は、誰かが「密林から出てきたゲリラ」という具合に評していたが、正直に言うと自分の受けた印象もそれからかけ離れてはいなかった。
          なんというか、モニターの中で薄笑いを浮かべる彼は「自分の理想がはっきりとあって、それをまっすぐ見つめまくっている人」の目をしていた。
          俺は基本的にそういう人が怖い。
          それと、開設されたホームページの凝った作りや情報の小出しぶりを見て、俺はとっても「アーティスティック」だなあと思った。
          なんだか少し、彼の活動に触れる間口が狭まってきているような気がした。
          ツイッターのタイムラインではライブチケットの争奪戦がリアルタイムで実況されていた。
          自分はチケットを取ろうとすらしなかった。
          ハーメルンの笛吹きに付いていけなかった子供のような心境だったと思う。

          それから1年後に、彼が再びコンサートツアーを行い、それに自分が行くことになるとは予想していなかった。
          ツアーの詳細がUSTで発表されたのをツイッターで知り、同時に作品集「我ら、時」が発売されたのを見た時は、購入ボタンを押しそうになりながら、若干キレていた。
          なんだこの15000円もしやがるボックスは、と。
          「ひふみよ」ツアーの内容はかなり素晴らしかった、とも聞いたり読んだりしていたので、手に入れたい気持ちは強かった。
          でも、この際だからはっきり言うが、この値段設定はどう考えても高いハードルだ。
          自分が好きになった小沢健二はミュージシャンとしての小沢健二なので、この作品集をどうしても音楽作品の相場の感覚で捉えてしまう。
          この箱から中身から全体が、彼の考える何かを表現するために必要なのかもしれない。
          冊子の紙は和紙、加えてボタンや「夢の中でデザインした」写真立てが手作りのボックスに入っているこだわりの仕様だ。
          だが、正直言ってボタンや写真立てにあまり興味のない自分のようなファンは、どこか彼の思っている「客層」から自分がいつの間にか外されているような気分になる。
          15000円を出すという壁を超え、彼を熱心に理解してくれるファンのみと濃いかかわりをしていこうとしているんじゃないか、と。
          3枚組ライブアルバムだけ別売りしてくれというのも、我ながらファンとして大概な姿勢だとは思うけども、またさらに間口が狭くなってないか、とげんなりした。
          後輩が、「チケット1枚余ったから行きませんか」と声をかけてきたのは、それからしばらくしてのことだった。

          続きます。

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