<< 短歌こわい | main | 外野の短歌中継:第2回 おれか おれはおまえの存在しない弟だ ルルとパブロンでできた獣だ >>

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    • 2018.03.29 Thursday
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    外野の短歌中継:第1回 表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道を漂うやかん

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       短歌を始めて4カ月経ち、課題も出てきた。
       たとえば自分の中で、「いい短歌」の基準がちゃんと形作られていないんじゃないか、と思うようになってきた。
       それはすなわち、好きな短歌のどこがいいのか、自分の中ではっきり言葉にできていないということだし、短歌をちゃんと読み込めていないということでもある。
       実際、誰かの歌集を読んでいても、一首一首ちゃんと読もうとしていつまで経っても読み終わらなかったり、逆にいったん最後まで読み終えようとしてどうにも流し読みになってしまったりする。
       それならいっそいろんな歌をざああっと読みあさり、その中で気になったひとつの歌を自分なりにごりごり掘り下げて読み込むのがいいんじゃないだろうか。
       と思ったので、ここで勝手に連載のつもりでその結果を書いていこうと思う。
       これを書いている今、ちょうどテレビでは広島カープ対横浜ベイスターズのゲームを放映している。球場でビールをあおりながら素人野球論をぶつおっさんのごとく書いていくつもりなので、タイトルはとりあえず『外野の短歌中継』としておこう。

       


       第1回、どの歌にするか迷ったけど、短歌を読み始めたころすぐにしっくりきた笹井宏之の、一番好きな歌にすることにした。

       表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道を漂うやかん / 笹井宏之「くらげ発電」(『ひとさらい』所収)

       描かれている情景を想像すると、空耳アワーの映像を音声なしで見ているような気分になる。一見あほくさい歌だ。
       けど、考えてみると色々面白い要素が隠されていると思う。
       まず、どうやら自分は言葉の跳躍力を感じる歌に弱いらしいのだが、この歌はその点ずいぶんな距離を跳んでいる。むしろ飛んでいる。何しろ水星だ。
       いきなり水星軌道にテレポートするこの飛躍を支えているのが、〈さとなか歯科〉という固有名詞だと思う。
       笹井の家の近所に実際にあったかは知る由もないが、〈さとなか歯科〉はいかにもその辺にありそうな名前だ。
       もしこれが〈さとなか歯科〉じゃなくて非日常的な名前だったとしたら、「水星軌道」という強い言葉と打ち消し合ってしまうだろうし、「身近なところからとんでもないところに飛ばされた」というギャップの衝撃が小さくなっていたと思う。
      〈さとなか歯科〉というありふれているけど具体的な、濁点の入らないするっとした語感の名前によって読者の視点をひきつけたうえで、一気に水星軌道までふっ飛ばす。
       この言葉選びが、読者の目をまず卑近なところに貼りつける接着剤であり、水星軌道へのはるかな距離を測るためのスタート地点であり、それを瞬時に縮めることで生まれるダイナミクスの原動力となっている。

       で、「表面に〈さとなか歯科〉と刻まれ」た何が「水星軌道を漂」っているのか。
       言うまでもないが言う。やかんである。
       やかん。今これを書いている自分の左1メートルほどの位置にまさしくやかんが存在する。
       宇宙空間で目の当たりにするはずがない、日常の匂いがやたらと強いものが唐突に現れることで、読者の視覚は1億5000万キロ先の水星軌道に取り残されたまま、意識だけが強制的に半径1メートルへと引き戻されることとなる。
       VRに没入して仮想宇宙旅行を楽しんでいたところに、母親の「ごはんよー」の声が響いて我に返るようなものだろうか。
       たった32字の間で瞬時に、これほど異常な距離を往復させられる歌もそうそうない。
       そしてこの短歌が面白いのは、単に読み手が長大な距離を行って帰ってくるだけじゃなくて、行ってガッカリして帰ってくるところだと思う。
       だってやかんだよ。水星軌道くんだりまで飛んできて、やかんだよ。
       海外旅行先で地元の人に一番うまい店はどこか聞いて、わくわくしながら行ってみたらとんこつラーメン屋だった、っていうタイプのがっかり感だ。
       でもそういうがっかりイベントはたいてい、後からその旅を振り返ってみると真っ先に、一番笑えた思い出としてよみがえってくるものじゃないだろうか。
       そういう脱力感をともなう悔しさがすごくいい。

       と、いち読者としてはけらけら笑いながら読んでいたこの歌だが、作者からすればそこまでなまやさしいものではなかったのかもしれない。
       笹井宏之は、重度の身体表現性障害を患ってほぼ寝たきりの生活だったという。
       この歌を収録した第一歌集『ひとさらい』のあとがきで彼は、「短歌をかくことで、ぼくは遠い異国を旅し、知らない音楽を聴き、どこにも存在しない風景を眺めることができます。(中略)短歌は道であり、扉であり、ぼくとその周囲を異化する鍵です」と語っている。
       この歌は、笹井が眺めた「どこにも存在しない風景」の歌だ。
       笹井が、自分の周囲、自分の半径1メートルにあっただろうやかんを、短歌という鍵を用いて異化したことで生まれた風景といってもいい。
       冒頭で、さとなか歯科という名前について、「読者の目をまず卑近なところに貼りつける接着剤であり、水星軌道へのはるかな距離を測るためのスタート地点であり、それを瞬時に縮めることで生まれるダイナミクスの原動力」と書いた。
       この跳躍力は、読者だけではなく、この歌を作った笹井自身を、はるかな水星軌道まで飛ばすために生み出されたものだったんじゃないだろうか。
       いつも横たわるベッドの脇にしばしば置かれる、歯科の名前が刻まれたやかんがあったとして、そのレトロなUFOめいた丸みに笹井は1億5000キロ離れたところにある惑星を、存在しない風景への扉を幻視したのかもしれない。

       そう考えると少し気になることがある。
       この歌はなんで“帰ってくる”んだろうか。
       安直な改作だが、たとえばもし、

      表面に〈さとなか歯科〉と刻まれたやかんが漂う水星軌道

       だったとしたら、やかんはスリングショットのごとくびいんと水星まで弾き飛ばされて軌道を回り続け、永遠に帰ってこない。
       歌としての出来はやっぱり元の方がいい。やかんを前に持ってくると、さとなか歯科とやかんがあっさりくっついてしまい、さとなか歯科→水星軌道→やかんのダイナミクスが失われてしまう。
       という点はもちろん前提としてあるけれど、自分が笹井宏之だったらそっちを選べただろうか。
       苦しみに満ちた体を抜け出して、そのまんま宇宙のかなたへ飛んでいって、水星軌道を永遠に回り続ける方がいい、と考えてしまうんじゃないか。
       でも笹井はそうせずに、やかんを後ろに据えて“帰って”きた。
       そこに見える作為は、単なる逃避の手段として短歌を使いはしないという姿勢の表れじゃないだろうか。
       それに、自己憐憫に陥らず冷静に己と短歌を見つめる目と、逃避の感覚を脱力感で包み込むユーモアこそが、この歌にこめられた願望の切実さを際立たせているんじゃないかと思う。

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