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    • 2018.03.29 Thursday
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    世界旅行としてのゲーム

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       年末に一念発起してPS4を購入したが、それで結局何をやっているかというと『ロマンシングサガ2』のリマスター版である。

       最新のゲームもちょいちょいやってはみたが、どうにも疲れて長続きしない。

       3Dで世界をまるごと造り出すようなゲームは、目に入ってくる情報量が多すぎて処理しきれないのだろうか。

       2Dの、さらにドット絵の、抽象化された世界にやたら落ち着くのは、自分が子供の頃にそういったゲームに親しんでいたからでもあるけど、それだけでもないように思う。

       

       ゲームをすることは旅行と同じだと考えているふしがある。

       実際の旅行はむしろ苦手だ。極度のヘタレなので強盗とかスリを警戒して全く街歩きを楽しめないし、そもそも言語が通じない空間が恐怖でしかない。ゲームとか読書で脳を亜空間に飛ばす方がよほど性に合う。

       そんなことを考えるようになったのは、たぶん小学生の頃にずっぷりハマった『ロックマン』のせいだ。

       『ロックマン』シリーズはなにより8体のボスの意匠がみんなバラバラなのが素晴らしいのだ。

       それぞれのボスが支配するステージを選んで攻略していくわけだけど、それが雪山だったり砂漠だったり工事現場だったり空中要塞だったりと色とりどりで、これはもうコンパクトな世界旅行といっても過言ではない。BGMもこれ以上ないくらい各ステージのイメージにぴったりとマッチしていて、もはやそのステージが古来からはぐくんできた民族音楽ではないかと言い切りたいくらいのものである。

       その、意匠の違うステージの移動を世界旅行ととらえる感覚は、RPGをやるようになってからさらに強まっていく。日本のRPGはほとんど旅そのものじゃなかろうか。

       その感覚を固めた主犯には『サガフロンティア』のリージョン移動が間違いなくあげられる。

       このゲームは、基本的に生物が存在できない亜空間に「リージョン」というコロニーが点在している、という世界設定で、そのリージョンは九龍城やマンハッタンや京都を模したものや、全体が巨大な刑務所やカジノになっているものなどがあり、まったく文化圏の異なる星を股にかけて旅するようなRPGだった。(通常はリージョンシップという宇宙船のような乗り物で移動するんだけど、主人公のひとりがワープ機能を使えて、その行き先のリージョン選択画面のアイコンがまたそれぞれかわいいんですよ。)

       

       でも、自分でも不思議に思ったのは、PS3で『風ノ旅ビト』をプレイした時に、これっぽっちも旅情を感じなかったことだった。

       これはマントをまとった精霊のようなキャラを操って、アンビエントっぽいBGMのなか、砂漠や地底の神殿などをフワフワと飛びながら進んでいくゲームで、戦闘やパズルなどのいかにもゲーム性の強い要素は基本的になく、ただひたすら美しい異空間のなかを移動していく。

       これこそまさに名前の通り旅するだけというか、旅行としてのゲームそのものだという気もするんだけど、なぜだろう、あっという間に飽きた。

       

       今から思うと、おそらくゲーム性が薄いからではない。

       このゲームの場合、訪れる場所が「コミュニティ」ではなかったからだろう。

       人のいない、その痕跡だけが残る廃墟のような場所を延々進むのは、美しくはあっても自分にとって旅情をかきたてる旅ではなかった。人の生活の場に入りこむことが旅行だとどうやらおれは思っているらしい。

       RPGに出てくる街などは、そのフィールドそのものがコミュニティじたいを内包していて、それにイベントを通してプレイヤーは接触する(例えば人魚の伝説が残る水辺の街を訪れて、その街の文化のコア=人魚と遭遇するイベントをこなす、など)。

       

       ただ、現実の旅行で、人の生活に入りこむことはできるのかというと、自分はあまりそういうタイプではないと思う。

       現地の人と仲良くなってそのコミュニティにゲストとして参加させてもらう、というのには度胸とコミュニケーションスキルが要るが、そのふたつは自分に大変ばっつり欠けているのだった。

       その点ゲームはいい。人の家に入りこんでタンスをあさったあげくじっと居座ったり、そののちひたすら話しかけ続けたしても何も問題ない。いくら特殊な文化圏であっても、そこに暮らす他人の生活圏に堂々と踏み込むことがあらかじめ推奨されている。

       さらに言えば、三軒茶屋を模した街の喫茶店の2階で下宿生活を送る『ペルソナ5』なんか、コミュニティどころか東京での他人の生活を疑似的に過ごすことができるゲームだったので、現実の自分が東京に住んでいるくせに東京留学してるように思えて楽しかった。プレイ後はしばらく現実に『ペルソナ5』のレイヤーが重なって、渋谷で電車を乗り換えるたびに「あーここでよく怪盗団の打ち合わせしたな」とかナチュラルに考えることが多かったくらいだ。

       

       ……あれ。3Dより2Dの方に旅情を覚える理由の話をするつもりだったような気がしたんだがなんでこんな話してるんだ。

       たぶんドットで抽象化された風景の方が、自分の脳内で勝手に立体化されて「体験」としての強度が高まるとかそんな具合じゃないかという気がするんだけど、まだよくわからない。

       まあいいや、それについてはまたいずれ考えることにしよう。


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